2008年10月13日

「数値から自由な企業を目指して」中川龍夫氏著

『ビル・ゲイツの脳みそはマイクロソフトのバランスシートに乗っていない。』この表現が現在価値革命への暴走を導いた議論の発端である。

 現在価値革命は、資産価値を損失や利益の積み上げでなく、将来収益予想の割引現在価値で認識し資産の時価を求める考え方である。この考えのもとで企業の価値を従来の資本金および内部留保から時価評価後の資産から負債を引いたものへと大転換を遂げた。

 それにより、企業の社会貢献、社会的責任、の概念ははるか後方へ追いやられ、企業は単なる金融商品として、短期的な利益を求める投資家に切り売りされ、解体されるケースが続出した。

 このように、金融資本主義は計測できないものを計測し、時価をはじき出すことにあくなき追求をしたが、所詮、だれも、ビル・ゲイツの脳みその価値など測れるわけがなかった。評価の原点が将来収益予想と市場の期待に基づいている限り、客観的な価値を測定することは極めて無理があり、主観的な、恣意的な操作に流されがちである。

 中川龍夫氏が「数値から自由な企業を目指して」のなかで、述べているように企業の価値は実測会計の上に主観的な予測会計で塗り固め、かたや数値で表せない外部環境の荒廃度や精神的な内部環境の悪化のような企業が原因となっている外部不経済は捨象して算出されるというように極めて虚妄の利益のもとで企業は翻弄されているという指摘にはおおいに共感できる。

 中川氏の唱える「ドーナツ」持合いも金融商品に堕してしまった株式を金融市場から救いあげる手段の提案ということで心意気に賛同したい。

 資本主義はどこへ行くのか。われわれの子孫が享受すべき資源、環境を食い荒らし、どんどん自己増殖を繰り返し、モンスター化し、人間の制御を超える存在となってしまった。

 中川氏は最終章で「人類の未来を切り開くのは市場主義と成長主義から脱した私的企業が頼りである」と述べている。市場主義と成長主義からの脱却は私も思うところであるが、私としては、私的企業では制御できる域を超えてきており、社会主義的所有形態がより理想的に機能する可能性があるのではないかと思っている。

 ソ連の失敗は、農業国や後進的工業国がいきなり取り入れた社会主義の失敗であり、ソ連の社会主義はエンゲルスが「空想から科学」で論じた空想的社会主義の見本でしかないとの見方も強い。(つまり、ソ連崩壊をもってマルクス主義が破産宣告を受けたわけではないのではないか)

 マルクスのいう共産主義とは、資本主義が高度に成熟した段階で移行する体制であるが、現在の資本主義はまさにこの段階に来ているのではないか。

以上とりとめのないことを書いてきたが、著者に更なるご鞭撻、ご指導をお願いしたい。


中川龍夫氏「数値から自由な企業を目指して」
下のPDF参照
genko.pdf
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2008年09月07日

「新憲法と学問」大内兵衛

 今日は大内兵衛が新憲法実施日に東大において行った「新憲法と学問」と題した講演について取り上げたい。(雑誌「世界」1947年7月号掲載)

 大内兵衛は東京帝大助教授時代に森戸事件に連座して退官。その後
東京帝大に戻るも人民戦線事件で検挙され休職。戦後東大に復帰した。
 専門はマルクス経済学。

 新憲法が施行された日の講演で、大内兵衛は新憲法の誕生を心より祝うと共に、日本人が新憲法を無血革命のもとで獲得したことに対し、ある種の危惧を吐露している。すなわち、血を流すことなく、天皇を始め、貴族、官僚、財閥等の従来の支配位置にあったものの地位が大変動して、民主主義社会が出現したわけであり、うれしいことではあるが、新憲法制定における国民の高揚感もなく、日本国民の民主主義に対する心細さを感じ取っていた。

 さらに大内は、「新憲法はいかに進歩的にできていても、それだけでは力ではない。学問に基づく真理に立ってそれを解釈し、学問に基づく真理によってそれに目標を与えるならば、それは社会体制の組織法として真の力となるであろう」と述べている。

 大内の言うように、血を流して心から渇望して得た民主主義でなかったせいか戦後60年を経過して、ますます国民は民主主義に無関心となっている。投票率の低下により、少数者の者の利益を代表する政治となり、政治に対する監視機能も低下し、政治家、官僚の腐敗が増加している。政治家も地域利益の代表者ではなく、国全体の視点から政治活動するという意欲が乏しい。

 平和憲法の解釈においても、大内には先見の明があったようだが、真実に立った解釈から大きくはずれる方法に進んできた(再軍備、海外派兵)ことは残念ながら明らかである。

 大内の時代に遡り、憲法制定時の先人の思いに触れて今後の憲法について考えていくことが重要である。 
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2008年05月11日

ハンチントンの「文明の衝突」と世界平和

 冷戦が終結しイデオロギーの対立が終焉し、世界は平和に向かっていると思いきや、以前にも増して、戦争や地域紛争が多発している現状にある。

 それを解くカギとして、ハンチントンは国際政治の中心は異なる文明を背景とするグループ間の対立に注目した。つまり、自分たちが行動を起こす前に自分の定義付け(自分は何者か)を行い、それにより、「自分たち」対「他者」=異なる文明に属する人々という構図で現代社会を捉えるというものである。

 そして、彼は、文明の衝突は世界平和の最大の脅威であり、文明に依拠した国際秩序こそが世界戦争を防ぐ確実な安全装置であると結論づけている。

 彼は東アジアの急経済成長とイスラムの人口急増により、中国文明とイスラム文明の勢力が拡大し、「儒教―イスラム・コネクション」を形成して西欧に敵対する。そのため、今後の世界は「西欧対非西欧」という対立の構図となると主張している。

 こうした対立を解決するために西欧がなすべきことは@西欧の軍事上の優位を保つ。A人権尊重と西欧的な民主主義を他の社会に強制して西欧流の政治的価値観と制度を促進することB非西欧人の移民を制限して西欧社の文化的、社会的、民族的な優位性を守ることであるとハンチントンは考えるのである。

 冷戦後の世界を考えると唯一米国のみがスーパーパワーの国となり、世界に対する発言権が非常に高まったのは事実である。その力を背景に他の文明に対し、西欧流の政治制度を導入させ民主化させることが、すなわち、米国の安全および民主化した国の幸福に繋がると考え強行に働きかけていた経緯にある。

 この極めて押しつけがましい米国を中心とする世界政策に対し、東アジアの経済成長とイスラムの人口急増により自信を強めた文明が西欧に対する反発を強め、文明同志の衝突を助長した推移にあるのではないかと思う。イデオロギーの終焉により、必然的に文明の衝突が起きるようになったのではなく、共産主義国家の滅亡により西欧文明こそが普遍的文明であると思いあがったことに対するリアクションではないかと思う

 また、ハンチントンはこの対立の解決のためには軍事力の優位性を保つことを主張しているが、この考え方は、まさに力には力でというどこまでもエスカレートする危険を孕んだ議論である。

 ハンチントンは文明のアイデンティティの重要性を主張し、片や、多文化国家の考え方を半ば否定しているが、他の文化も尊重しともに共存して、新しい文化を創造していくというオーストラリアのような考え方は重要な視点であると思う。

 ハンチントンは文明間の対立はその文明に属している国しか解決できないとしているが、日本のような利害のない第三国が仲介して世界平和に貢献することも今後すべきであるし、することができるのではないかと思う。

 今後ますます世界は複雑になり、単純な2極対立、3極対立ではなく、クモの巣のようなモザイク状の国と国の関係が築かれお互いの国が牽制するとともに協同し、平和を維持する体制ができるようにするにはどうしたらいいのか考えていきたいと思う。
posted by 世界平和 at 21:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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